杉原 桂の自分研究室

ユアクリニックお茶の水の院長、杉原桂のブログ。

思考を止めることがナラティブに

日頃、いろいろ考えている。

 

そのことすら意識出来なくなっていた、

 

水槽の中で、たくさんのいろいろな魚が泳いでいるかのよう。

 

それが当たり前になっていた。

 

私たちの行動のほとんどが、意識せずにオートパイロットで動いている。

 

様々な思考が、知らずに脳を占拠している。

 

それを、全て一度手放す。

 

脳の静寂を取り戻す。

 

そんな時間が、大切であることに今更ながらに気がついた。

 

ナラティブといいながら

 

過去のナラティブに振り回されるのでは本末転倒だ。

 

まっさらなキャンバスに描き出すように思考を自由に扱うためには、新しいページが役立つ。

 

中村天風がインドの修行で言われたエピソードにも似ている。

 

自分のタライにたまった水を一度捨てなければ、新しい水は入れられない。

 

毎日、古い水を捨てているか?

 

毎時間、古い水を捨てることができるだろうか?

 

 

 

せめて定期的に、あたまを空っぽにすることを、習慣にしていこうと思う。

院内会議とナラティブ

クリニックをはじめてから2年と5カ月。

 

拡張しないといっぱいいっぱいになってきた。

 

しかし。計画は早急に動かしても

 

正しい方向にはうごかない。

 

そんな体験をした。

 

山登りのチームで、なぜ道が変わるのか、納得出来ないまま付き従うようなものか。

 

リーダーの思惑とは別に、それぞれが見えているモノが異なる。

 

そこで会議を開く。

 

山登りを止めて、小休止。食事もしつつ

ビジョンを共有。

 

そこから、メンバー全員の想いを聞き取る。

ポジティブもネガティヴもどちらでも。

 

そこで、まだまだ自分の中に

言い訳犬が住んでいることを知る。

 

すぐに、理由を述べたがる。

正しいための理由を探す。

その呟きが、聞こえてくるけれど

そいつは横に置いておく。

 

レジリエンスでは、犬とかオウムという表現でこの内的対話を名付けている。

U理論では、いつものパターン化された反応としてダウンローディング、と呼ぶ。

 

名前はどれでもかまわない。

今はただ黙って、相手の真意や気持ちを受け止めることに集中する。

 

すると不思議なことが起きる。

その場から何とも形容しがたい

エネルギーのうねりのようなものが発生してくる。チームが一つになってくる。

目を赤くして語るヒトが出てくる。

 

これこそがナラティブの力だろうと僕は思っている。見えないものだが、確実に感じられる場の空気の変化。

 

質的研究で伝えられるだろうか。

オープンダイアローグでは、これが発生しているのではなかろうか。

天外伺朗さんのいうところの、燃える集団では、これが起こっているだろう。

 

もちろん全部が全部手放しで

語らせればうまくいくというわけではない。

ほんの僅かに、偏りに対してはニュートラル寄りへのファシリテーションが、必要な場面もあると思われる。

 

ナラティブを、医療の世界に届けたい。

そう思ってモデルになるクリニックを立ち上げた。これを3つに増やして、他の医療者からマネされるクリニック経営にしていきたい。そこで仕事する人が、健康になっていく職場。人間的成長を、していく職場。

 

この波紋を、広げていこう。

そう思える自分史上の特異点であった。

 

 

 

 

 

 

The Journey 自分の生き方をつくる原体験の旅 四角大輔

 

The Journey 自分の生き方をつくる原体験の旅   四角大輔 https://www.amazon.co.jp/dp/4866070161/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_v.XuzbJRV8DEV 

 

先に「モバイルボヘミアン」を読んで。

 

著者の一人である四角大輔氏の、旅への考え方をモデリングするために購入。

 

しかし、下調べがあまかった。旅について14人の物語。

 

学生の最終試験を旅にするっていうアイデアはいいかもしれない。

 

世界を巡ると、己の思考の狭さに気がつく。

 

僕もカンボジアの王様に会いにいった旅で、王宮の普通さにびっくりした。

 

王さま本人は政治亡命のために他国に逃げていた。そこで王の弟に謁見した。

 

街をあるく人々は上を向いてあるいていた。

 

シュムリアップでは、次々にホテルや大きな建造物が次々に建てられつつあった。

 

ホテルには韓国や中国からのビジネスマンが買い付けにきているようだった。

 

アンコールワットでは子どもたちが売り子として仕事をしながら

人懐っこく、どこまでもついてきた。

英語や日本語を覚えて一生懸命はなしかけてくる。

将来は勉強したいとこぼしていたのが、印象的だった。

 

 

 

日本はあまりにも

恵まれすぎたせいで

大事な何かがみえなくなっている。

 

そう、気がつかせてくれた旅の一つである。

 

 

 

 

「そして父になる」

映画「そして父になる」とナラティブ。

Amazon DVD

子ども取り違え事件。

 

エンドロールになっても、真の解決ではない。

 

これからどうするのだろう。

 

苦しみは取り違えそのものではなく、

 

我が子をコントロールした&親のいうことをきかなくてはならない

 

というファンタジーではないだろうか。

 

大学で教えていると、

 

このファンタジーに汚染された親子にでくわすことが少なくない。

 

例外なく、心にわだかまりを抱えている。

 

ただ、それももしかしたら

 

生まれるまえに自分で選んだ試練なのかもしれない。

 

親は選べない、というテーゼに対して

 

親を選んで生まれてきたよ、というアンチテーゼ

 

両方の物語を行き来できれば、苦しみの軽減に役立つのではなかろうか。

 

この場合、科学的に正しいか否かというものさしは横において。

 

あくまでその問題解決や軽減に役立つか否かが重要なものさしである。

 

 

 

 

 

僕は我が子を思った。

 

別に見かけと自分に似てなくてもかまわない。

 

優秀であることと幸福であることはまったく別のパラメータだ。

 

れきたん歴史人物伝/夏目漱石

 

夏目漱石だって養子である。
むしろ男児がいない家庭に次男三男がはいっていく方が
戦前は多かったと僕は認識している。

 

それにどんな解釈をもつか、が国や時代によって異なる。

 

それにしても、

電気屋さんの奥さん、タフでいいなあ。

さよなら渓谷といい、こういう薄幸そうだけど頑張る的な女性に自分の弱点がありそう。

ナラティブに舵を切る

インターネットでどこにも在庫がない本。

 

しかし、それは本当ではない。

 

多くの場合、あるところにはある、のだ。

 

刑事ではなくても

 

現場に行って五感でみる必要がある。

 

医師もそうだけどね。

 

飯倉教授は、治らない子どもの自宅にいって原因を探していた。

 

まだ僕はなかなかそこまでできていないけれど。

 

今日はない、とネットが囁く

 

「クリーン・ランゲージ入門」という本を

 

出版社さんに問い合わせ、倉庫を探してもらって最後の一冊を買い求めることができた。

 

見えるものだけが真実とは限らない。

 

 

 

モバイルボヘミアンという本を読みながら

 

自分の仕事を先鋭化していく必要を感じている。

 

医師xナラティブx{ビジネス?経営?}

 

この辺りに役立てる領域がありそうだ。

 

そこにフォーカスを絞っていこう。

 

四十にして惑わず。

 

 

 

LOSTから旅の切望について

スタートレックシリーズ。

スターウォーズの新シリーズ。

 

メガホンをとるJJエイブラム。

 

全世界の期待値が高すぎる作品なだけに

あとをひきつぐ彼は並大抵の苦労ではないだろう、と思う。

 

JJの作風がどんなだろうと気になってアマゾンのLOSTを見始めた。

 

最初は引き込まれた。

 

しかし、これは僕の見るべきものではなかった。

 

終わりがない。謎は謎をよぶ。それは不毛地帯だった。

 

謎の目的は視聴者の興味を引き寄せ続けるため、ただそれだけのために作られているようだった。

 

虫を集めるライトのようなもので。それを照らし続ければ一定の虫がずっと確保できる。

 

そういう装置のようなドラマだった。

 

いまの僕には山登りのような、山頂があり、苦難もあるがゴールがある、

そんな物語が必要だと強く意識したのはこうしたLOSTの装置性に気がついたおかげ、とも言えるだろう。

 

だから、最近にしては珍しくリアルなハードカバーである「騎士団長殺し」を

読み始めた。

 

終わりが書籍の残りページで分かる、というのはkindleにはないリアル書籍の特権

でもある。

 

騎士団長殺しを読みながら、ふと僕はそろそろ旅にでなくてはいけないのかもしれない、と思う。

 

人は旅をしなくちゃいけないタイミングがあるもの、なのだ。

 

そういう旅渇望感覚に落ち込むことってありませんか?

 

これは別に村上春樹の小説を読んだからそういっているんじゃない。

 

だって、村上春樹の小説の主人公ときたら、ちょっと離婚したり、女性にふられたりしただけで、もう数ヶ月単位の放浪生活をはじめてしまう。

 

そんなことできないよ、誰も。

 

そうできたらいいかもな、くらいはちょっと思うかもしれないけど、

 

3分後には、生活の糧をどうしようかとか

 

マンションの家賃とか

 

上司がどう言ってくるだろう

 

とかいろんなしがらみでそういう情念をおさえつけて生きる。普通は。

 

僕の知っている中で

 

実際にポッとおもいたって旅にでてしまったの男性は

 

高校の同級生N君くらいだ。

 

なんの話だったか。

 

そうそう。村上春樹の小説にでてくる男の子たちは

 

(そう、男の子。彼の作品にでてくる主人公たちが自分より年下になっていること、それ以上に精神的に、あるいは作品の構造的に、成人していても心を殺しきれてない主人公がいつもでてくる。グレート・ギャツビーと一緒だ。この対逆として心を殺しきることに長けているのは、サム・スペードやらデューク東郷あたりだろう)

 

ありえないほど、繊細だ、ということ。

実際の我々は、心の繊細さと、心を殺すことのあいだをふらふらしている。

 

だから小説に惹かれるのだろうし

 

心を殺したルチーンの人生パターンから抜け出るために

 

自分が歯車ではないことを確認するために

 

旅を切望するのではないか、と思う。

 

 

 

 

鉱脈の発見について

ジョジョの奇妙な冒険」を書き続けている荒木飛呂彦氏は

 

ある時、鉱脈を見つけた。

 

人体のポーズにおいて、古代彫刻や絵画をモチーフにしていくことを。

 

たしか、ご自身の著作のどこかで書いていたような気がするッ!

 

村上春樹も鉱脈を見つけた。

 

これは二次情報だが、内田樹氏が村上春樹について書いた文章で見つけた。

 

本歌取り村上春樹内田樹。でググる

 

http://blog.tatsuru.com/2017/05/14_1806.php

 

最近になって語り直された記事が見つかった。こちらを読んでもらえればわかるかもしれない。

 

これはこれでコラムが1つかけそうな話題なのだが。

 

先に進もう。

 

杉原も昨晩、鉱脈を掘り当てた、気がした。

 

それは、lostの評価を読み、

 

TEDでJ J abramsの動画を見て、気がついた。

 

人間こそが、興味の源泉であり、知の源泉であると。

 

そこから派生した、技術や知識はコピペされて終わりだと。

 

人間は人間に目を奪われる。

 

それが自分の鏡だからだろう。

 

人間関係の構築とは、己自身との関係構築だった。

 

 

それこそがナラティブにつながる。

 

コピペできない、物語が。大発見で嬉しい。