抗菌薬(抗生物質)を正しく使うためにしっておきたいこと
http://www.byouin.metro.tokyo.jp/shouni/kanja/koukinyaku_leaflet.pdf
東京都立小児総合医療センターのHPより。
一部改変。
抗菌薬を「正しく使う」ために知っておきたいこと|東京都立小児総合医療センター|子どもの病気全般(救急救命・先天性疾患・小児がん・外傷など)
抗菌薬を「正しく使う」ために知っておきたいこと
思考を止めることがナラティブに
日頃、いろいろ考えている。
そのことすら意識出来なくなっていた、
水槽の中で、たくさんのいろいろな魚が泳いでいるかのよう。
それが当たり前になっていた。
私たちの行動のほとんどが、意識せずにオートパイロットで動いている。
様々な思考が、知らずに脳を占拠している。
それを、全て一度手放す。
脳の静寂を取り戻す。
そんな時間が、大切であることに今更ながらに気がついた。
ナラティブといいながら
過去のナラティブに振り回されるのでは本末転倒だ。
まっさらなキャンバスに描き出すように思考を自由に扱うためには、新しいページが役立つ。
中村天風がインドの修行で言われたエピソードにも似ている。
自分のタライにたまった水を一度捨てなければ、新しい水は入れられない。
毎日、古い水を捨てているか?
毎時間、古い水を捨てることができるだろうか?
せめて定期的に、あたまを空っぽにすることを、習慣にしていこうと思う。
院内会議とナラティブ
クリニックをはじめてから2年と5カ月。
拡張しないといっぱいいっぱいになってきた。
しかし。計画は早急に動かしても
正しい方向にはうごかない。
そんな体験をした。
山登りのチームで、なぜ道が変わるのか、納得出来ないまま付き従うようなものか。
リーダーの思惑とは別に、それぞれが見えているモノが異なる。
そこで会議を開く。
山登りを止めて、小休止。食事もしつつ
ビジョンを共有。
そこから、メンバー全員の想いを聞き取る。
ポジティブもネガティヴもどちらでも。
そこで、まだまだ自分の中に
言い訳犬が住んでいることを知る。
すぐに、理由を述べたがる。
正しいための理由を探す。
その呟きが、聞こえてくるけれど
そいつは横に置いておく。
レジリエンスでは、犬とかオウムという表現でこの内的対話を名付けている。
U理論では、いつものパターン化された反応としてダウンローディング、と呼ぶ。
名前はどれでもかまわない。
今はただ黙って、相手の真意や気持ちを受け止めることに集中する。
すると不思議なことが起きる。
その場から何とも形容しがたい
エネルギーのうねりのようなものが発生してくる。チームが一つになってくる。
目を赤くして語るヒトが出てくる。
これこそがナラティブの力だろうと僕は思っている。見えないものだが、確実に感じられる場の空気の変化。
質的研究で伝えられるだろうか。
オープンダイアローグでは、これが発生しているのではなかろうか。
天外伺朗さんのいうところの、燃える集団では、これが起こっているだろう。
もちろん全部が全部手放しで
語らせればうまくいくというわけではない。
ほんの僅かに、偏りに対してはニュートラル寄りへのファシリテーションが、必要な場面もあると思われる。
ナラティブを、医療の世界に届けたい。
そう思ってモデルになるクリニックを立ち上げた。これを3つに増やして、他の医療者からマネされるクリニック経営にしていきたい。そこで仕事する人が、健康になっていく職場。人間的成長を、していく職場。
この波紋を、広げていこう。
そう思える自分史上の特異点であった。
The Journey 自分の生き方をつくる原体験の旅 四角大輔
The Journey 自分の生き方をつくる原体験の旅 四角大輔 https://www.amazon.co.jp/dp/4866070161/ref=cm_sw_r_tw_dp_x_v.XuzbJRV8DEV
先に「モバイルボヘミアン」を読んで。
著者の一人である四角大輔氏の、旅への考え方をモデリングするために購入。
しかし、下調べがあまかった。旅について14人の物語。
学生の最終試験を旅にするっていうアイデアはいいかもしれない。
世界を巡ると、己の思考の狭さに気がつく。
僕もカンボジアの王様に会いにいった旅で、王宮の普通さにびっくりした。
王さま本人は政治亡命のために他国に逃げていた。そこで王の弟に謁見した。
街をあるく人々は上を向いてあるいていた。
シュムリアップでは、次々にホテルや大きな建造物が次々に建てられつつあった。
ホテルには韓国や中国からのビジネスマンが買い付けにきているようだった。
アンコールワットでは子どもたちが売り子として仕事をしながら
人懐っこく、どこまでもついてきた。
英語や日本語を覚えて一生懸命はなしかけてくる。
将来は勉強したいとこぼしていたのが、印象的だった。
日本はあまりにも
恵まれすぎたせいで
大事な何かがみえなくなっている。
そう、気がつかせてくれた旅の一つである。
「そして父になる」
映画「そして父になる」とナラティブ。
子ども取り違え事件。
エンドロールになっても、真の解決ではない。
これからどうするのだろう。
苦しみは取り違えそのものではなく、
我が子をコントロールした&親のいうことをきかなくてはならない
というファンタジーではないだろうか。
大学で教えていると、
このファンタジーに汚染された親子にでくわすことが少なくない。
例外なく、心にわだかまりを抱えている。
ただ、それももしかしたら
生まれるまえに自分で選んだ試練なのかもしれない。
親は選べない、というテーゼに対して
親を選んで生まれてきたよ、というアンチテーゼ
両方の物語を行き来できれば、苦しみの軽減に役立つのではなかろうか。
この場合、科学的に正しいか否かというものさしは横において。
あくまでその問題解決や軽減に役立つか否かが重要なものさしである。
僕は我が子を思った。
別に見かけと自分に似てなくてもかまわない。
優秀であることと幸福であることはまったく別のパラメータだ。
夏目漱石だって養子である。
むしろ男児がいない家庭に次男三男がはいっていく方が
戦前は多かったと僕は認識している。
それにどんな解釈をもつか、が国や時代によって異なる。
それにしても、
電気屋さんの奥さん、タフでいいなあ。
さよなら渓谷といい、こういう薄幸そうだけど頑張る的な女性に自分の弱点がありそう。