「そして父になる」
映画「そして父になる」とナラティブ。
子ども取り違え事件。
エンドロールになっても、真の解決ではない。
これからどうするのだろう。
苦しみは取り違えそのものではなく、
我が子をコントロールした&親のいうことをきかなくてはならない
というファンタジーではないだろうか。
大学で教えていると、
このファンタジーに汚染された親子にでくわすことが少なくない。
例外なく、心にわだかまりを抱えている。
ただ、それももしかしたら
生まれるまえに自分で選んだ試練なのかもしれない。
親は選べない、というテーゼに対して
親を選んで生まれてきたよ、というアンチテーゼ
両方の物語を行き来できれば、苦しみの軽減に役立つのではなかろうか。
この場合、科学的に正しいか否かというものさしは横において。
あくまでその問題解決や軽減に役立つか否かが重要なものさしである。
僕は我が子を思った。
別に見かけと自分に似てなくてもかまわない。
優秀であることと幸福であることはまったく別のパラメータだ。
夏目漱石だって養子である。
むしろ男児がいない家庭に次男三男がはいっていく方が
戦前は多かったと僕は認識している。
それにどんな解釈をもつか、が国や時代によって異なる。
それにしても、
電気屋さんの奥さん、タフでいいなあ。
さよなら渓谷といい、こういう薄幸そうだけど頑張る的な女性に自分の弱点がありそう。